2011年11月23日水曜日

外国人から見た日本の田舎生活

会社転籍により松本市へ引っ越してから、もう10年以上経過しました。当時市場の状況がよくなかったので、携帯器用のLCDディスプレイに関係する仕事をしたいと思いました。そのため、セイコーエプソンに入社し、7年間村井駅付近の社宅に住んでいました。社宅に住んでいたところ、小さい子供を持っていた家族が多く、私の子供も小さかったので社宅の皆で子供もつれて乗鞍の方にバーベキューをしに行ったり交流が深く、同僚は上高地につれて行ってくれたり、長野の自然を紹介してくれて良かったと思いました。
最初の部署は豊科町でした。ラーラ松本の裏には自転車専用道路があるので、天気がよい日は、健康のため自転車で会社に通っていました。自転車を乗りながら、秋には紅葉を見るのが楽しかったです。2004年に人事部によりスペシャルオリンピックス長野実行法人へ派遣されることになり、現地でのスタッフと共にスペシャルオリンピックスの競技会場を準備した時、長野県の北信地方について、とても勉強になりました。競技会場での設備を設置するため、野沢温泉、志賀高原、白馬等のスキー場に訪ねることが多く、忙しい間をぬってみんなで一緒に信州そば等の地元料理を食べました。特におやきと野沢菜が美味しく、今でも忘れない味になっています。
社宅での入居期間は7年間と決まっており、さて、社宅を出るにあたり、新しく引っ越す先をどうしようかと考えました。上の子は小学校に入学したばかりでしたが、当時下の子が通っていた幼稚園が寿にあり、入園・卒園式、運動会を参観と寿には、通い馴れていて、上の子も同級生が寿小学校には多くいたのがきっかけで寿の土地に住もうと心に決めました。また、私の生まれ育った所も自然が多かったのですが、夜村井駅から自宅に歩いて帰る時、夏にはホタルが飛ぶのを見る事ができて、アメリカの私の故郷では見たことがなくとても感動してしまいました。松本は、都会汚染がなく、よい学校があり、子どもたちを育てるため、安全な環境であると思いました。
現在、不況の中、苦しいですが、この自然が素晴らしい小池町会に住み続けるため、会社で頑張っています。また、機会がありましたらコミュニティの生活にも貢献したいと思います。